どちらかと言えば私は読書をしません。
全くしない訳ではありませんが、しない方だろうと思います。
特に最近は読書をしなくなりました。
たまに読書をしたとしても、雑誌やノウハウ本、専門書ばかりで、私の中ではこれは読書とは定義づけていません。
読書とは、文学とか小説とかを読むことだと思いています。
なぜ文学とか小説を読まないのかというと、自分が生きていく上で必要無いという思いが心のどこかにあるのではないかと思います。
なので、いまだに小説と文学の違いすらわかりません。
そんな私ですが、少しは読書をしたことがあります。
白雪姫
文学書と言えるかどうかわかりませんが、今でも記憶に残っている本は「白雪姫」です。
もちろん最近読んだ本ではなく、幼稚園の年長か小学校低学年頃に親に切望して買ってもらった本だったと思います。
たしかディズニーの絵本だったのではなでしょうか。
白雪姫に出てくる魔女がとにかく怖くて仕方ありませんでした。
近所に住む友達のお母さんがその魔女にとても似ていて、魔女のようなおばさんと会うたびに変な魔法にかけられるのではないかという、今考えてみれば子供っぽい妄想で日々怯えていた記憶は今でも忘れることができません。
そのおばさんの顔や本の内容は忘れてしまいましたが、とても怖かったです。
トム・ソーヤーの冒険
次に思い出に残っている小説とか文学とかいうたぐいの本は「トム・ソーヤーの冒険」でしょうか。
もちろん最近読んだ本ではありません。
小学生の時に親に買ってくれと切望したわけではなく、良い本だから読みなさいと与えられた本でした。
著者はマーク・トウェインというアメリカ人で、舞台はミシシッピ川のほとりだったと思います。
親から強制的に与えられた本にもかかわらず、いざ読み始めてみると面白さのあまり、一気に読み倒してしまったことが今でも忘れられません。
本の細かい内容は忘れましたが。
とにかく当時小学生の私からしてみれば、トム・ソーヤーの想像を絶する冒険劇に大きな衝撃を受けたことが昨日のように思い出されます。
当時小学生の私は本気でト
ム・ソーヤーになりたいと思っていました。
JAWS
次に思い出の本を挙げるとすれば、ピーター・ベンチリーの「JAWS」でしょうか。
「JAWS」は私が中学生頃に自分のお小遣いで観にいった映画でした。
当時中学生の私が圧倒的な衝撃を受けてしまい、自分のお小遣いを使って原作本まで買ってしまったという鮮烈な思い出が今も蘇ってきます。
中学生の私にとっては「JAWS」という映画の持つ臨場感を原作本にも期待していたように記憶しています。
しかし映画と原作に大きなギャップを感じ落胆し、そこには大人の事情があるのだなと、青い私は大人ぶった悟りを感じていたことが昨日のように思い出されます。
本の細かい内容は思い出せませんが、とても懐かしいです。
片岡義男
次に私の思い出に残っているのは高校生になって知った片岡義男の小説でした。
一作だけを選ぶことはできませんが「友よ、また逢おう」「彼のオートバイ、彼女の島」「スローなブギにしてくれ」など、1970年代~80年までのほとんどの作品は読みあさりました。
片岡義男の小説に登場するものと言えば、カウボーイ、オートバイ、サーファー、自動車、女性、都会、アメリカなど。
青春時代の私は、片岡義男の小説を読み終えるごとに、サーフィンを始めたり、ウエスタンブーツを買いに行ったり、オートバイに乗り出したりと大きな影響を受けたことが昨日のことのようです。
本の細かい内容はやっぱり覚えていませんが、とにかく当時の私は片岡義男の小説に夢中になったものでした。
まとめ
というわけで社会人になったからは、あまり本を読まなくなりました。
特に最近は文学や小説の類は全くといって読んでいません。
テレビでさえ、映画やドラマよりもノンフィクション系やニュースばかりを見るようになりました。
ろくな読書をしてこなかった私が言うのも何ですが、読書には想像力が必要だと思います。
読書をしなくなったという理由の一つに、文学や小説を読んで想像することが面倒になって来たからなのかもしれません。
ということで、これからはたくさん本を読んで想像して脳が退化していくのを抑えていこうと思っている、今日この頃です。
今日のところは以上です。