短編小説「企業戦士」

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これは大企業で企業戦士として働く勇敢な男たちの物語である。

私は榎本克則34歳係長。
本日付けで営業本部営業推進部ソリューション営業企画室第3チームのチームリーダーに配属された。
その部署は東京のほぼ中心部に高圧的にそびえ立つ高層ビルの本社内に存在し、約500人のエリート達が従事し、全国の営業部門と販売会社を統括する大企業の中枢組織である。
私は、独創的で類まれなる企画力が一躍買われて、この中枢組織のプランナーに抜擢されたのだった。

そして今日は最初の出社日だ。
ビルの出入り口はゲートで阻まれており、従業員だけが所持することを許されたICカードをかざすことで、ゲートが開く仕掛けになっている。
私は、そのゲートを通り、営業本部営業推進部ソリューション営業企画室がある26階に向かった。
さらにオフィス内へのドアにもICカードで開錠して入る仕掛けになっている。
私は、ICカードをかざしドアを開けた。

100人程が在籍しているであろう、その早朝のフロアーには既に数名の従業員が仕事をしていた。
その中から感じがよさそうな女性従業員を選び、自分の氏名と配属先の部署を告げようとしたその時、背後から私の名前を呼ぶ男がいた。
「榎本、久しぶりだな。」
振り向くと見おぼえのある顔だった。
「吉岡?久しぶりじゃないか。」
「榎本がうちの部に配属されることは数日前に部長から聞いていたよ。さあ、机はこっちだ。オレが案内するよ。」
吉岡は新入社員研修を共に過ごした同期だ。
当時から新入社員中でも切れ者で、将来は頭角を現すことを期待されていた。
「右も左も分からないことばかりだから吉岡がいてくれて心強いよ」
「分からないことがあれば遠慮なく何でも聞いてくれ」
「ありがとう」

数日後私の歓迎会が催され、3次会として六本木のバーに10人程が流れ込んだ。
私はほろ酔い気分で1人カウンダーでたそがれていた。
すると顔を赤らめたにこやかな表情の吉岡が近づいてきた。
「榎本係長、お疲れさん。」
「吉岡課長補佐、お疲れ様です。」
二人は再びグラスを合わせた。
「しかし吉岡、34歳にして課長補佐か。課長への昇格も時間の問題じゃないか。社内でも異例のスピード出世になる。」
「出世なんて自分で決めることじゃないよ。会社が決めることだし。オレには出世なんて興味がない。」
「そんな余裕、吉岡らしいな。」
「それよりも榎本に任された仕事は、一世一代の大事業になる、期待してるぞ。」
「大事業?」
「これからこの会社は物を売るんじゃない。事を売っていくんだ。」
「事を売る?」
「そうだ。物ではなく事だ。価値をお客様に提供するんだ。ソリューションだ!」
「ソリューション・・・?」
「お客様が困っていることを我々が解決し本物の価値を提供する。そのフレームワークを我々が企画するんだ。」
「フレームワークの企画?」
「そうだ。我々が考えた企画で全国5,000人の営業スタイルを改革するんだ。どうだ、考えただけでもわくわくする大仕事じゃないか。」
「そうだな。」
「これこそ大企業の中枢組織で仕事をする醍醐味じゃないか?」
「そ、そうだな・・・。」
私は吉岡の力説に圧倒されるばかりだった。
「さすが吉岡だな。慶応ボーイは違うな。」
「榎本だって早稲田出のエリートじゃないか。お互いに頑張ろう。」
「ああ、頑張ろう。」
二人はグラスを合わせ、夜はふけていった。

上司やメンバーから今後の仕事の方向性や目的についてのオリエンテーションを受けた後、私はチームメンバーと今後の活動計画や役割分担についてのディスカッションを行った。
そして、現状の営業スタイルやお客様との関係性について、全国津々浦々の営業拠点、営業所長から現場の営業マンに至るまで、徹底的にヒアリングを実施することにした。

短納期を要求されるプロジェクトにより、来る日も来る日も激務が続いた。
出張帰りに夜オフィスに戻ると、そこには吉岡の姿があった。
私の左斜め後ろに座っている吉岡が振り返る。
「榎本、出張お疲れさま。」
爽やかな笑顔で労いの言葉をかけてくる。
「吉岡こそ大変だな、夜遅くまで。」
早朝に出社した日にも、そこに吉岡の姿があった。
「おはよう榎本。これから出張か?」
「ああ、吉岡も相変わらず忙しそうだな。」
休日出勤しても、私の左斜め後ろの吉岡が声を掛けてくる。
「榎本、休みなのに今日も仕事か。頑張ってるな。」
「まぁ、仕方ないさ。オレの仕事の効率が悪いだけさ。」

約1カ月のヒアリング活動を終え、私達のチームは集計と定量・定性分析作業にとりかかった。
早朝から深夜まで、作業は連日のように続いた。
静まり返った深夜のオフィスで、左斜め後ろの吉岡が言う。
「榎本、仕事の進み具合はどうだ?」
「ああ、なんとか納期に間に合わせるよう頑張ってるよ。」
「そうか、中間報告が楽しみだな。」
経営への報告会は3週間後に控えていた。
今が正念場だ。

私は翌日も、その翌日も早朝から終電ギリギリまで分析作業を行った。
そして早朝の爽やかなオフィスにも、終電間際のオフィスにも吉岡の姿があった。
吉岡はいつもと変わらず静かな落ち着いたおもむきで机に向かっている。
まるで、私が小学生の時に通学路の道端にたたずんでいたお地蔵様のように。
晴れの日も、雨の日も、その穏やかな表情を変えることなく、そこにたたずんでいた。
それは、もはやお地蔵様という存在ではなく、眼球の網膜から脳裏に焼き付いた風景の一部と化していた。
同じように、吉岡は六本木の高層ビル26階の無機質なオフィスの風景の一部と化していた。

経営への中間報告の1週間前、私は営業推進部の塚原部長、ソリューション営業企画室長の中山課長、そして吉岡課長補佐に対して事前報告を行った。
分析の結果、当初予定したソリューション営業の全国展開を1年先送りし、比較的協力的な東京や神奈川などの販売会社とプロジェクトチームを結成し、テスト導入を行い、その結果を踏まえた上で段階的に全国に展開していくことを提案した。
理由は、現場の営業スタイルとのギャップが大きすぎるというものだった。

また、地方都市では旧態依然とした営業スタイルを崩してしまうことが逆に弊害招いてしまう可能性さえあるため、画一的にソリューション営業を展開することに無理がある。
さらに、ソリューション営業に追随するために我々メーカーの開発体制を早急に改革しなければ、全ては絵に描いた餅となってしまうことを説明した。

営業推進部の塚原部長は私の調査結果を踏まえた上で、経営はこの報告結果と今後の進め方に納得しないだろうという予測を立てた。
経営は改革のスピードを要求しているのだ。
私は改革そのものには反対しないし、推進していくべきだと考えている。
しかし、スピードを要求するあまり、上手くいくものが上手くいかないものになってしまう危険性が高くなる。
改革にはタイミングが重要であることを唱えた。
私は自分の考えを一歩も譲ることは無く、経営への説明も曲げることはできないと主張した。
議論は平行線のまま終わった。

1週間後の経営に対する報告会に私の姿は無かった。
代わりにプレゼンを担当したのは吉岡だった。
そして報告会は無事に終了した。

私は引き続きこのプロジェクトを担当することになった。
そして、プロジェクトリーダーは課長に昇格した吉岡が担当することになり、私の上司となった。
経営の判断は予想通り、ソリューション営業の全国展開を加速せよとの指示だった。
私個人としては不本意であったが、経営の決定に従うしかなかった。
私は再び仕事に没頭していった。

全国の営業現場を飛び回わり、開発や工場にも足を運んだ。
夜のオフィスに戻ると私は企画を練り始めた。
しかし、アイデアが浮かばない。
困ったな。
そうだ、あいつに相談してみよう。
「吉岡課長。」
返事がない。
「吉岡、相談したいことがあるんだけど?」
私は左斜め後ろを振り返った。
吉岡の存在はそこには無かった。

数日後、私は開発部との打ち合わせを終えオフィスに戻った。
先週から練り上げた企画案について吉岡課長の承認を得るためだった。
オフィスには吉岡の姿は無く、事務の安藤さんが一人仕事をしていた。
「安藤さん、吉岡課長は?」
「あ、榎本係長。吉岡課長からの伝言を預かっています。例の企画書は承認しますとのことでした。」
安藤さんが吉岡課長のハンコが押印された企画書を私に差し出した。
「あ、そうなんだ。ところで吉岡課長は最近体調でも悪いのかな?」
「えー、そんな事ないと思いますよ。」
安藤さんが怪訝そうに言う。
「だって最近帰るの早くない?」
「あ~、そりゃそうでしょ。課長に昇格して残業が付かなくなったから、会社にいても仕方ないんじゃないですか?」
「・・・で、安藤さんは何で残ってるの?」
「吉岡課長が課長になったとたん、やたら私に仕事を振ってくるから大変なんですよ~。」
安藤さんは、さっきの100倍の勢いで怪訝そうに言った。
私は茫然と立ち尽くし、そして呟いた。
「吉岡、お前ってやつは・・・」

その後、経営判断で推し進められた「ソリューション営業」の全国展開は、営業現場の反発により苦戦を強いられた、予定していた3年計画は5年に引き伸ばされた。
榎本は1年後、別のプロジェクトに抜擢され、この事業から身を引くこととなった。
吉岡課長は5年後部長に昇格した。

この物語はエノカツの会社員時代(1990年代後半頃)の体験に基づいていますが、完全なノンフィクションでななく、だからといって完全なフィクションでもありません。

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