タバコをやめて4年以上が経過しました。
人間とは実に薄情なもので、もしこのブログ記事を書くことが無ければ、恐らく今の自分が愛煙家だった過去を持つことさえ意識することは無かったかもしれません。
禁煙のネタとしてタバコをやめて良かったことについては、山ほど記事を書くことはできますが、逆にタバコをやめて困ったことを書いたら面白いかも、と思いつき、昨日一日考えてみました。
禁煙して困ったことは他人の喫煙に困ること?
タバコの匂いにイラっとして困る
会社の事務所への行き帰りの途中で、ご老人が道端でタバコを吸っている状況に、ほぼ50%位の確率で出くわします。そんな時は10メートル以上手前からタバコの匂いがしてくるので、手前の路地を迂回してタバコの匂いを避けて歩いてしまいます。
距離にして50メートルほど遠回りしているのですが、考えてみれば僕はそのご老人に対して、タバコを吸わない自分が遠慮し、しかも日々少しずつ無駄な時間を費やしているということに、イラっとすることがあります。
もう一つ同じようなこてがありはす。僕はマンションの5階に住んでいるのですが、お隣さんがベランダでタバコを吸う人なので、窓を開けているとタバコの匂いが部屋まで入ってきます。この時はタバコの匂いなんてかぎたくなにもかかわらず、お隣さんの都合で無理やりかがされている感に、少しだけイラっとします。
でも、イラっとするのは3.7秒位なので、すぐに忘れてしまいますから、困ったことの部類には入らなかったのかもしれませんね。
タバコを吸っている赤の他人を軽蔑してしまう自分に困る
そしてもう一つ怖いなと思ったことがあります。それは、たばこを吸っている赤の他人の人格まで否定してしまう考えが生まれてしまうということです。もちろん、知り合いの中に喫煙者は何人もいますが人格を否定することはありません。街中で歩きタバコをしている知らない人や、前述したご老人のような人に対して軽蔑の目で見てしまうのです。
考えてみれば4年以上前の僕は逆の立場の人間でした。申し訳ないと思いながらも、路上でタバコを吸うこともありましたし、家の中が臭くなるとか、家族が嫌がるからという理由からベランダで吸うこともありました。
その時は、タバコを吸わない人が、自分の気が付かないところでこんなに嫌な思いをしていたなんで考えたこともありませんでした。もちろんタバコを吸わない人がタバコを吸う人の人格まで否定してしまうなんていうことも考えたこともありません。
僕はタバコを吸っていた人間なので、タバコを吸う人や、やめたくてもやめられない人の気持ちは分かるつもりです。そして、たばこを吸うからと言ってその人が人格的にダメだというおかしな考えは無いつもりですが、いつの間にかタバコを吸う人に対して差別的な目で見るようになった自分に困ったなと思うことがあります。
結論
ということで、タバコをやめて困ったことをアレコレ無理やり書いてみましたが、結局人の喫煙に難癖付けているだけで、困ったと言えるようなものではありませんでした。
やはりタバコをやめて困ることは何一つありませ・・・・あっ?ありました。家にライターが無くなったのでバーベキューの時に火を起こすのに少し困ったことくらいでしょうか?